ツイノベとかのまとめ

twitterで投稿したツイノベをまとめています(@ukeiregaohayai)

泰継

不愉快だ。湿った土を踏む爪先に重苦しい気が絡む。この山を浄めたのは数日前のことだが、早くも穢れが生じている。不愉快だ。ふと木立を見上げ、己の憤りの元は何かと考える。…よく分からない。神子は今日、私以外の八葉を供につけると言った。その後に生じたこの感覚は、一体何なのだろう。


神子は何かにつけて感謝と謝罪を口にする。その度に不要だと指摘するのだが、そうすると神子は困ったような顔をする。私の言動が分からないと神子は言うが、私に言わせてみれば神子の方が余程不可解だ。何が最も不可解かと問われれば、神子が困ると私まで困ったような気分になることなのだが。


神護寺か」「はい。この間の旅行で撮ったんです」その写真には、楼門に続く長い石段が写っていた。「覚えてますか?うさぎを追いかけて、この階段で泰継さんに会ったこと」「私は忘却することがない。あのうさぎにも後日きちんと礼を伝えた」「ふふ」「なぜ笑う」「なんでもないですよ」


彼との出会いは、たぶん人生で一番不思議な体験だった。不思議な声に導かれ、不思議な場所に辿りつき、不思議な人と出会った。生きてるうちに味わう全ての不思議が一度に襲いかかるような日々を経て、私は尚も不思議に包まれている。「花梨、デートに行こう」その言葉、どこで覚えたんですか?


お前を離したくない、と言って抱きついてきた泰継さんが本当に離してくれない。私の背中をすっぽりと胸に抱いた泰継さんは、ときおり首筋に顔をうずめて耳たぶを唇でやわやわと食む。耳の後ろにあたる吐息がやけに熱い。掠れた声で名を囁かれた耳元から、私がぜんぶ溶けていきそうだ。


自分は諦めの悪い蛍のようだと、泰継は少し嘲笑った。あの日、人間になる夢の中で背中に感じた神子の息遣い。その温もりが今も名残惜しくこの身に留まっている。胡蝶の夢としても、この弱々しい光を全て投じて彼女の行く道を照らしたい。身勝手な願いだ。そう思い、泰継はもう一度己を笑った。


靴紐がほどけたと言って泰継さんが立ち止まった。ずっと裸足だったのだから、まずは靴に慣れるのがいい。そう思って私が選んだスニーカーだ。屈んだ泰継さんの頭が目の前にある。髪を短くした泰継さんの頭のてっぺんを、こんなにしっかり見たのは初めてかもしれない。


よしよし、と頭を撫でたら、屈んで靴紐を結ぶ泰継さんの手が止まってしまった。「ごめんなさい、迷惑でした?」思わず伸びた手を慌てて引っ込めようとする。「……いや、構わない」泰継さんはそう言って、私の手を頭に載せたままチョウチョ結びを再開した。「お前に触れられるのは心地が良い」


靴紐がほどけたのでその場に屈んだところ、花梨が私の頭をゆるゆると撫でた。母親が赤子をあやすような手つきだ。私は赤子ではない、とも思ったが、どういうことか花梨に頭を撫でられるのは悪い気分ではない。「ごめんなさい、迷惑でした?」「いや、構わない」もう少しゆっくり靴紐を結ぼう。


「泰継さん!」館に訪ねてきたのは、先日挨拶もせずに帰ってしまった彼だった。近々失礼を詫びに行こうと考えていたくらいだっのに、まさかここで逢うなんて。「私は八葉だ。おまえのそばにいる」涼しい顔でそう言う真意は読めない。けれど、なぜかそんな表情に安堵を覚える私がいた。


「花梨、その傷は」「子猫が木の上で鳴いていたので助けようと思ったんですけど、怖がらせちゃったみたいで」そう話す花梨の手の甲には、細い傷が数本、等間隔に走っていた。「でも猫は怪我せずに済みましたから」。その救いの手は、いつでも分け隔てなく衆生に差し出され、そして傷を負う。


学び舎を修了することを「卒業」といい、卒業式には袴で出席することが通例となっているらしい。「前撮りはしたんですけど、内緒にしておきますね」と言って、花梨は「一番綺麗におめかしした私を見に来てください」とはにかんだ。本当に美しいものは、己の美しさを知らない。


泰継さんはラジオを好む。私が部屋にあがると消してしまうけれど、ある昼下がりにはコーヒーを片手に、雨の夕暮れには本を片手に、晴れた夜には星を眺めながら、泰継さんはラジオに耳を傾けている。そんなに面白いんですか、と尋ねたら、パーソナリティの声がお前の声に似ている、と言われた。


泰継さんは小さなコップの中身を飲み干して、唇を舐めた。「どうですか?買います?」初めてのコーヒーを体験した泰継さんは、「孤独な味だな」と感想を述べた。「ミルクと砂糖を入れれば孤独じゃないですよ」。そうか、と呟いた彼の手がふいに私の右手を握って、カゴの中身がかさりと揺れた。


「くりすます」とは何がめでたく、そしてそれが何故男女の逢い引きに関係するのか、と泰継さんが言っていたのは去年の暮れのこと。イブにデートのお誘いをしてくれたから不思議に思っていたら、きょとんとした私に泰継さんは言った。「みな恋人と甘い時を過ごす口実が欲しいのだな」


ぱちんぱちんという規則正しい音に目を開ける。横を見れば泰継さんが爪を切っている。「起こしてしまったか」「いえ。私も伸びてきたなと思って」「切るか?」「いいんですか?」「嫌か?」「まさか」ぱちんぱちんと僅かな振動が指先から伝わる。私の指をそっと掴む長い指の、慎重さと優しさ。


この思いを届けてほしい、と人は言い、詠い、時に願う。言葉にしない思いなど、届くはずもない。「しかし、皆が皆、それを口に出来るわけではありませんから」彰紋は微笑んだまま言う。そこにあるのは、思いの言の葉が許されるか否か。告げる想いさえない私は、きっと何にも許されない。


柔らかな手のひらが私の指をなぞり、花の香りのするクリームを塗り広げていく。「この季節は乾燥しますから、手を洗うたびに保湿するといいですよ」そう言って花梨は再度ハンドクリームを手に取り、自分の指先にも塗り始めた。手を動かすたびに微かに香る花。香りにも温度があることを知った。


いつまで一緒にいられるかなんて分からない。そんなのはどこでだって誰とだって同じだけれど、この時空では、泰継さんとでは、尚更に分からない。名を呼んで振り返る、その身体に縋るようにしがみつく。いまここにある確かな温もり。あなたを私に、私をあなたに、刻みつけてしまいたくて。


「ほら、やっぱりピアスのほうが選択肢が多いんですよ。だから憧れるんですけど」でもやっぱり怖いんですよねぇ、と言いながら、花梨はイヤリングの品定めに移って行った。この世界のファッションとやらはよく分からない。耳飾りひとつつけようがつけまいが、お前はこんなにも輝いているのに。


「泰継さんは気をどんな風に感じるんですか?」近ごろ力が増した神子は、その扱いに難儀するところがあるらしい。「風を読むのに似ている。他の陰陽師がどうかは知らぬが」「風かぁ」もっと力が強くなれば、空の彼方まで見えるようになるのかな。神子はそう言いながら、風の音に耳を澄ませた。


淡い光か、小さき蕾か。どう表すのが適切かは分からない。そんな希望を重ねることが適切かも分からない。それが私の名を呼ぶ。私に微笑みかける。時に哀しそうな顔をする。かと思えば取り繕って無理に笑う。今日も清浄で涼やかな声が、生きてゆく意味を紡ぐ。「おはようございます、泰継さん」


出張のお土産に縁結びのお守りを貰った。冗談で「まだ結び足りませんか?」と問うと、泰継さんは「各地の神にも正しい結び先を示さねばなるまい」と言って、私にくれたものと色違いのお守りを得意げに掲げて見せた。旅先の神様にまで惚気るなんて、私はなんて人に恋をしてしまったのだろう。