ツイノベとかのまとめ

twitterで投稿したツイノベをまとめています(@ukeiregaohayai)

雨と櫛(遙か2/泉水)

「そうだ、ねえ紫姫、これ見て!」
「まあ、素敵な櫛ですね」
 ある雨の夜。南方に遠出することになっていた花梨と泉水は、方違えのために紫姫の館で一晩を過ごすこととなった。

 あいにくの空模様ではあったが、花梨と紫にとっては久方ぶりの再会である。龍神の神子と星の一族として過ごした日々。時には従者として、しかし時には妹のように、神子を見つめ続けた星の姫。せっかくだからと花梨が神子の装束で館を訪れていたこともあり、思い出話から近況報告まで、少女たちの話は尽きることなく続くように思われた。
 それを見越してか、泉水は人心地が着くと「館の者に挨拶をする」といって二人を残して席を外した。
花梨の冒頭の台詞は、そうして思う存分お喋りをし、思い出話が一段落した頃に発せられたものである。

「この間泉水さんと市に行ったときにね……」

 それは、泉水と花梨が散策をかねて市を見て回っていた日のことだった。
 白河に立つ定期市では、日用品から贅沢品まで、幅広くさまざまな取引が行われる。手塩にかけて育てた作物を売る者もあれば、菓子や惣菜、手作りの工芸品を掲げる者もある。運が良ければ、なんらかの経路で遠方から渡ってきた珍しい品を見られることもあった。
 それほど裕福ではない民の暮らしにも徐々に平和と安定が戻りつつあり、京はこれからの未来に希望を抱く活気に包まれている。花梨は、まだ見たことのない「元気な京」が目の前で育っていくようすを感慨深げに眺めていた。
「ちょいとそこのお二人さん、彫りの入った美しい櫛なんてどうだい?」
 ゆったりとした足取りの二人に声をかけたのは、彫りの装飾を施したつげの櫛を売る女だった。痩せているが表情は活き活きとしており、市の賑やかな空気を引き立てるような雰囲気を持つ女である。
「なかなか美しいだろ?ウチの娘が彫ったんだ」
 女はよく通る大きな声でそう言って、目の前のむしろに並べられた品々を手で示した。
 手彫りの装飾を施した櫛を売る商人であるらしい。櫛に象られているのは、京の四季折々の自然である。一本一本異なる装飾の櫛がならべられているようすは、一切の色彩がないにも関わらず、屏風絵を思わせるような雅やかさを備えていた。

「わあ、綺麗な櫛」
 たくさんの櫛の中で花梨の目を引いたのは、秋の風景を描いたものだった。淡い色あいのつげに、大小さまざまに繊細な紅葉が彫り込まれている。今まさに散ろうとしている紅葉の動きが見えるような、奥行きと余韻を感じられる彫刻だった。
 細やかな彩りに見とれた花梨は、ほうとため息をつく。
「本当に美しいですね。花梨殿の御髪の色によく似合います」
「そうだねぇ。お嬢ちゃんの髪はお天道様に透かしたような色だね。紅い紅葉がよく似合いそうだ」
 女と泉水は、穏やかな風になびく花梨の髪を見てほほえむ。
「二人してそんな……おだてても何も出ませんよ?」
恋人と話し好きの女にちやほやと褒められ、花梨は火照る頬に両手を押し当てた。
「おだててなど」
「それに、私、髪短いですし……」
 泉水は居心地が悪そうにもじもじする花梨をちらりと見やり、
「あの、こちらを頂けますか」
と言って櫛を手に取った。
「え、泉水さん」
 遠慮したつもりだったのに、とでも言いたげに、花梨はぽかんと口を開けて連れ合いの男を見上げた。
「はい毎度! 大事にしておくれよ」
 櫛を売る女は、よかったねお嬢ちゃん、と言ってニカッと笑って見せた。

 人通りの多い道を抜けたところで、泉水はその白い掌に収められた櫛を花梨に差し出す。
「受け取って頂けますか」
「ごめんなさい、私が綺麗だとか言っちゃったから、なんだかねだったみたいで」
 あとから考えてみれば、客引きにほいほいと反応してしまったのだ。
 京の町は、花梨が暮らしていた世界ほどはおかしな遠慮や気遣いの必要がない雰囲気ではあったが、それでも、と花梨は思う。
(みんなが活き活きしてるのが嬉しくて、調子に乗っちゃったな)
 泉水は繊細な瞳でいつも周囲を見渡している。強い自己主張はしないが、事を荒立てない選択をするための判断力に長ける。
「いいえ、私が差し上げたいのです。……お嫌でしたか」
「嫌なんかじゃないですよ!」
 そんな言い方はずるい。
 泉水が悲しげな顔でこんなことを言うと、花梨は強く出られなくなる。それに、泉水のプレゼントだなんて嬉しくないわけがないのだ。
「ありがとうございます」
 ただ、いつかのお菓子や絵巻物など、いつも貰ってばかりであるのが気にかかる。
「……泉水さん、何か欲しいものありますか?」
「は」
「何かお返しがしたいと思ったんですけど……でも私が用意できるものなんて」
 生活には苦労はなかったが、元いたあの家庭のように現金でお小遣いが貰えるわけでもなく、まして自分の稼ぎがあるわけでもない。用入りのものがあれば必然的に使いの者、ひいては泉水に頼むことになる。サプライズでプレゼント、なんてことが酷く難しくなってしまった。
 さらには近日中に遠出を控えていることもあり、ただでさえ入り用の物を買い揃えている最中である。その中で必需品でもないものを貰うばかりなのがどうにも居たたまれなかった。

「――それで、泉水殿は何を欲しいと?」
「『この櫛で髪を梳かせてはもらえませんか』って。なんでそんなこと言うのか、さっぱり分からなくて」
 首を傾げる花梨に、紫は口元に袖を当ててくすくすと笑った。
「な、なんで笑うの?」
「だって、神子様、そのようなお話を『のろけ』と言うのですわ」
「のろ……!」
「泉水殿がそうおっしゃるのなら、神子様も泉水殿の髪を梳いてさしあげるのはいかがでしょう」
 きっと泉水殿のお気持ちが分かりますわ。紫はそう言って、袖を揃えて花梨に向き合った。
「そういうものかなあ」
「ええ、きっと」
 花梨はなおも釈然としないようすで、私の髪なんて短いしなあ、などと呟いている。

「髪が、どうかされたのですか?」
「泉水殿」
「泉水さん!」
 ひょっこりと顔を出した泉水は、噂の髪を揺らしながら部屋に足を踏み入れた。しっとりとした空気の中に控えめな黒方の薫りがわずかに薫る。
「お話終わったんですか?」
「ええ、つつがなく」
 泉水が花梨の隣に腰を下ろすと、入れ違いに紫が席を立った。
「紫姫どこいくの?」
「泉水殿もいらっしゃいましたから、白湯でも持ってこさせます」
 紫は、少々お待ちくださいね、といって人を呼びに出た。
「どうぞお構いなく、と言いたいところですが、お二人とも喉が渇いているでしょうから」
 確かに、喋り通しで飲み物が欲しい気分にはなっていた。やはりここでも、泉水は状況をよく見ている。
 しかし、こんなときにも何かをして貰ってばかりになると、花梨はどうにももやもやせずにはいられなかった。
「本当にわたし、泉水さんに貰ってばかりで」
「花梨殿?」
 泉水はきょとんとして、俯きがちになった花梨の顔を遠慮がちにのぞき込んだ。
「気の利いたこともうまくできないし、どうすればお返しできるのかなって、紫姫にも聞いたりして考えてたんですけど」
「もしや、先日のお話ですか」
「……」
「……でしたら、同じことの繰り返しになりますが」
 と言って、泉水は花梨の頬に手を伸ばした。
 少し驚いて顔を上げた先に、泉水の優しげな瞳の光がある。高くはない体温は花梨の肌によく馴染み、何か柔らかな繭に包まれるような心地がした。
親指が頬をなぞり、薬指が輪郭を包む。
「泉水さん?」
「あなたの髪に触れさせてはいただけませんか」
 またこれだ。なぜそんなことで許しを得る必要があるのだろう。花梨はついに思うところが分からず、泉水に倣って彼の頬に指先を滑らせた。
「じゃあ私も、泉水さんに触ってもいいですか?」
 顔に触れた指に力がこもったかと思うと、泉水は小さく息を吐いて、一度ゆっくりと瞬きをした。
「……そのようなこと、許しを乞わずとも」
 空いていたほうの腕が花梨の背に回され、その身が引き寄せられる。
 短い髪がさらりと、その上げ頸の蝶結びがひらりと、澄んだ瞳がきらりと揺れる。

 見た目よりも力強い腕と、広い胸。
 着物越しに微かに感じられる少し早い鼓動。
 背中を包み込む大きな手のひら。
 黒方の薫りが強くなる。
「それが、私の一番ほしいものです」
 いつしか雨は止んで、湯気の立つ白湯が二人の指先をじわりと温めてゆく。
 梅雨明けはもうすぐ。