香り(遙か2/泰継)
同じシャンプーなのに違う香りになるのはなぜだろう。指の間をすり抜ける滑らかな髪。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「髪に何かついているか?」
「ついてませんよ。綺麗な髪だったのに、もったいなかったなと思って」
床に座って本を読んでいる彼の背後で、私は膝を抱えてソファに座っている。床は疲れるでしょう、と言ったのだけれど、椅子には慣れぬと言い張って聞かない。
ソファに預けられた背中の温もりが脚に触れて、心地いい。短くなった髪をさらさらともてあそびながら、私はこの世界を学ぶ彼のようすを眺めていた。
泰継さんを連れてこの世界に戻ってきたとき、私の服が元通りになったのと同時に、彼の容貌も現代のそれに変わった。
結っていた長い髪は短く整えられ、雪を踏みしめていた足はすっぽりと革靴に収められている。あたりを見回すどこか寂しげな瞳は紛れもなく泰継さんのものだったけれど、シルエットが変わった彼はなんだか知らない人のようで、改めて龍神の力を怖ろしいと思った。
「泰継さんは髪、短くなっちゃってよかったんですか?」
「切らなかっただけだ。この世界では男の髪は短いのなら、切るがよいだろう」
「そうですねえ。お団子かわいかったのになあ」
「かわいい……?」
「お団子ヘア。かわいいですよ」
涼しげな目元に困惑の色が浮かんでいる。
怪訝な顔もかわいい。
「ちゃんと男の人用のシャンプーも買いましょうね」
「男女で違いがあるのか」
「兼用のもありますけど、私のは女物ですから」
「花梨と同じ香りがよい。いつもお前が共にいるような心地がする」
またこの人は、こんなことを言う。確かに同じものを使ったけれど、私の髪と泰継さんの髪とじゃ全然違うにおいがするのに。
京にいたころは、香りなんて気にしたことがなかった。というよりも、もしかするとあの頃の彼に「香り」はなかったのかもしれない。
制服姿の私を抱きしめた大きな身体の香りに、私はひどく動揺した。確かに知らない香りのはずなのに、なぜだが愛しくて愛しくてたまらない。愛しくて、恋しくて、懐かしくて、悲しくて、気づいたときには涙が溢れていた。
もちろんその涙は泰継さんを困らせてしまったけれど、私はしばらく泣きやむことができなかった。
時空を越えて、生命を超えて、あなたを見つけた。
「『心地』じゃなくって、私はいつも一緒ですよ」
九十年の孤独を見ていた彼の髪。
大好きな香りを背中から抱きしめて、頭の後ろに口づけを落とした。