ツイノベとかのまとめ

twitterで投稿したツイノベをまとめています(@ukeiregaohayai)

政虎

「ルード、お前腕落ちたか」「勝手に邸に上がり込んだのは悪口を言うためですか」「ルードの料理は絶品だよ、俺が保証する」コハクもフォークをくわえてきょとんとしている。「変わったのは料理じゃない」と言いながら、ダリウスはキッシュを口に運ぶ。「虎、君が毎日食べているのは誰のお手製だい?」


喧嘩して飛び出していった虎が、物の数時間でとぼとぼと帰ってきた。「……お昼は?」「腹カラッポのほうが夢詰め込めんだよ」意味が分からない。「……ルードの飯が美味くなかった」「え?」「今朝は悪かった。だから」『お前の飯が食いたい』。しゅんと垂れ下がったしっぽが見える気がした。


この娘はいつまでもヒャアだのヒィだの、色気というものがない。「もうちょっとイイ声出してみろよ」「や、ちょっとどこ触ってるの」「どこってここだよ」「ひゃ」戯れにその唇を塞ぎ、もう一度仕掛けてみる。「……ッ!」「なんだ、やればできるな」必死にこちらを睨む潤んだ瞳も、悪くない。


「腕すげぇ冷えてんな」と言いながら遠慮なく私の二の腕をつまむ。「俺があっためてやろうか?」「そ、そういうのいいから!」と身を縮こまらせると、虎は「じゃこれでも着てろ」と言い捨てて自分の上着をぞんざいに私の肩にかけた。少し体温が残っていて暖かい上着は、虎のにおいがする。


出歩くとき、何かと両手が塞がるようになった。物を買えばその袋を抱える。遠出ならそれに応じた荷物がある。食い物を二人分買うのも当たり前になって、何をしていても手が空かないのが煩わしくて仕方ない。「お前といると何にもできやしねぇ」「……なら、私の手を離せばいいんじゃない?」


「ほら虎、トラ」入園口からまっすぐに来てやったにもかかわらず、そのトラは逞しい四肢を持て余すようにして寝こけていた。「ヒーローらしくねぇな」「ヒーローっぽさは求めないでしょ…」絵本に出てくる動物じゃないんだから、と言って梓は笑う。その顔と仕草は絵本に出てくる猫に似ている。


随分前から喋り方がムニャムニャしていた梓の頭が、ついにこちらに落ちてきた。視界の端につむじが見える。「オレはお前の保護者か」そう独り言つも、身動きが取れなくなっているのも確かだった。薄っぺらい体が、寝息に合わせてゆったりと揺れるのを眺める。「ま、護ってはやるがな」


夜毎現れる暗い穴のふちに腰掛けて、その深さを測る。うっかり落ちるほど迂闊ではないし、好んで落ちるほど気が狂ってもいない。ただ穴のふちに腰掛けて、その深さを思う。「……腹が減ったな」腹を満たせば、あの穴は少し遠ざかる。こんな月の夜は、きっと厨房にあの間抜け面がいるはずだ。


がらくた時計は、やはり壊れているのかもしれない。陽が照っているあいだは何とも思わないが、月が昇って灯りを消すと針の進みが異様に遅くなる。カチコチ、カチコチ、と不格好な音を無意識に数え始めて、どれくらい経っただろう。「……オルゴール、ねぇ」こんな夜に、その音色があったなら。


もうこれ以上逃がしようがない。指も肩も腕も脚も背も腹も腰も頭も心も、何もかも限界だ。息も絶え絶えに助けを求めて名を呼ぶ。髪の毛に触れる大きな手は「撫でる」というよりは「掴む」のほうが近くて、粗暴でおおざっぱなのに、どこか優しい。「虎、もう、」「逃がさねぇようにしてんだよ」


逃げ道をひとつひとつ封じる。指で、腕で、脚で、言葉で封じて、もう逃げられないどん詰まりへ追い込む。やがて嬌声が切なげに名を呼ぶので、返事をしてやる。「なあ、梓」捕まえられたら、鬼役は交代。子猫はきっと、そんな決まりを知らずに虎を捕まえた。「逃がさねぇようにしてんだよ」


「ケガしたらちゃんと手当てしないとだめだよ。ばい菌が入ったら大変なんだから」などと一人で喋りながら、ぐるぐると包帯を巻いていく。大げさすぎて手首から先がほとんど動かせない。梓はいつでもオレよりオレのことに敏感だ。その大げさな心配の分だけ、幸福も大げさにしてやれたらいい。


「虎は私のどこが好きなの?」「…こういうときの布団の匂いはそそる」そう答えると、梓はキョトンとしてから数秒遅れで赤くなり、ばか!と言って肩口を叩いた。「そっちいくと枕から落ちんぞ」と理由をつけて、逃げる体を腕の中に取り戻す。しっとりとした首筋からは、湿った良い匂いがした。


なんだか知らないが、笑っているのがいいような気がする。よく分からないが、浮かない顔をしていたら小突いてやりたくなる。さっぱり見当がつかないが、いつまでも元気でのほほんと生きるのが誰よりもお似合いだと思う。「――政虎さん、それすっごいノロケだと思うよ」……よく分からないが。


「ねぇ、ちょっと、虎、」忙しない吐息についばまれて溺れる。歯という歯を掬われるような口づけに照れ隠しで文句をつけたら、今度は顔という顔が唇に支配された。「お前がゲヒンゲヒン文句いうからオジョウヒ~ンにチュッチュしてやってんだろうが」お上品なキスは、きっと息なんて乱れない。


「……丈、短くねえか?」「そう?」制服のスカートはみんなこれくらいだし、神子の服だって丈はこんなものだった。そう答えても、虎はなおもグルグルと唸っている。やけに神妙な顔で「ソレはアレだからオレといる時だけにしとけ」と言うけれど、アレとかソレとかばかりでよく分からなかった。


いい加減に腕の感覚がなくなってきた。左腕にがっしりとしがみついた梓がムニャムニャと動くたび、肩から指先にかけてぞわぞわ不快な電流が走る。乱れた髪をぞんざいに撫でると、なおのことムニャムニャしだす。「シビれてんなあ」痺れて感覚がおかしくなっている。身も心も、骨の髄まで。


パチャパチャと卵を溶く音に合わせてエプロンの紐が揺れる。そんな後ろ姿に、誰よりも手を出したくて、誰よりも手を出したくない。背中に向けられる視線に気づきもせず、梓はせっせと火の加減を確認している。そのたびにエプロンの紐が揺れる。『守りたい』。――オレからも、オレ以外からも。


渡されたネックレスは、華奢なチェーンの一粒石だった。「虎が選んだの?」「おう」よく見れば、留め具の先に小さな猫の飾りがついている。「…猫?」「おうよ」こんなアクセサリーを、こんな繊細なデザインを、彼が。呆気にとられる私に虎が文句を垂れ始めるまで、お礼の言葉さえ忘れていた。


「やるやらねぇの境地じゃねぇんだよ」「……あえて深くは聞かんが」腹が減っていないこと。寒い思いをしていないこと。のほほんと暮らせること。その延長線が、この腕の中まで辿り着いたと思えるときまでは。「本条ともあろうものがねぇ」気まぐれに砂糖を入れた珈琲は、必要以上に甘かった。(虎梓)