ツイノベとかのまとめ

twitterで投稿したツイノベをまとめています(@ukeiregaohayai)

光秀

「あやつの愛は重いぞ」『愛』を語るには落ち着きすぎた口調に感じるところがあり、思わず聞き返した。「試すことでしか人の心を量れんのだろう」心を試して、得られるものと失うものは何だろう。「……光秀殿に信頼されてみせます」そう言うと、信長様は満足げに目を細めた。「愛は信頼か」


「ほら桔梗、兄様になんでも話してごらん」「は」「想い人の何が不満なんだい?」『桔梗』は私だ。『想い人』は光秀殿だ。つまりこの人は、誰も見ておらぬというのに兄妹ごっこを始め、桔梗を兄様に甘えさせようとしているのだ。「……兄様はひねくれていらっしゃる」「なんのことかなぁ」


光秀殿のそれを知りたいのなら、こうすればいい。そう言われていつもと違う着物で秀吉殿と庭を散策したその夜、光秀殿は何やら苛々したようすだった。「……あの、むしろ手強さが増していたのですが」「つまりそういうこったよ」「そういうこととは」「あんたの鈴の声が何よりの武器さ」


「わっしょい? ……何、それは」「秀吉殿!」「いやあ、あの愛らしいお地蔵さんはオレの腕の中が大層お好みで」「光秀殿、誤解です」「へえ」「光秀殿!」秀吉殿はいつも余計なことばかり吹き込む。案の定、主は笑った口元のまま、その視線を逸らしてこう言うのだ。「おしおきが必要だね」


ふん、と小さく鼻を鳴らして、光秀殿は私の顔をまじまじと見つめた。「……何か」「君、例の紅は」忍びの姿に紅など不要だ。そう答えようとした頤に、光秀殿の指が触れる。紅をさす指の動きはあの日よりも酷く緩慢だ。思わず身じろぎをすると光秀殿は妖しげに笑って、もう一度鼻を鳴らした。


「私は君から報告書以外の文をもらった覚えがないのだけれど」「……おっしゃる意味が分かりかねますが」また秀吉殿が余計な(尾ひれの付いた)話をしたらしい。「あれは任務の一環です」「では新たな任務を授けるよ」笑いを堪えているような愉しげな声で彼は言う。「私に恋文を書きなさい」


最初からそう言えばよかったんだよ。そう言って、光秀殿はくつくつと笑った。決死の思いでその続きを紡ごうとした口はすぐに塞がれて、温かで柔らかい手のひらが否応なく唇に触れる。「み、みふゅひへどの」「君が私をとてもとても慕っているということ、それに理由も説明もいらないよ」


滑らかな毛足が首筋をくすぐる。祝儀だと言って信長様がくださったのは、この南蛮の着物だった。沈み込むような深紅の天鵞絨は、鈍い月光を映して艶やかに輝く。「ほたるは夜の光と相性がいいね」羽織った肩に重ねた手のひらよりも、その唇の奥はもっと熱いのだと、私の心臓が叫んでいる。


信長様はいたく上機嫌だ。「良いものを見たわ。光秀、貴様まことに面白くなったな」「……お人が悪い」ほたる殿と光秀殿の口喧嘩を目撃した信長様は、しきりに面白いと笑ってばつの悪そうにする光秀殿をからかっている。「蘭、貴様も何か言ってやれ」……全く、お人が悪いのだ、この方は。


「奥義、ねえ」主は配下の者が成した仕事の委細を知る義務がある、などとよく分からない御託を並べたところ、くのいちからあの救出劇の真相を聞き出すことができた。命をも賭した強い願いで叶う、ただ一度だけの究極の変化。その姿はきっと、忍びの想いを象って舞い降りるのだろう。


「姫様ですか? お部屋にはいらっしゃらないようですけれど……」『光秀様なら先ほどお邸を出て行かれましたよ』「お姫さんをお探しとは、珍しく気が合いますなぁ!」『先刻秀吉に絡まれているのを見かけたが、その後は知らぬな』((あの人は、どうして黙って待っていられないのだろう))


あんな忍びの稚拙な企みなど、優に見越せたはずだ。幻の傀儡でしかなかったそれの胸中に、闇に潜む者としての矜持など欠片も無い。いつかの忍びのような憎悪の炎すら、何も。無垢で素朴で純粋な虚空に、何が芽吹くというのだろう。曇っていたのは彼女の心でも信念でもなく、「――私の眼か」


「大きな欠伸だねえ」
「み、光秀殿」
 花嫁衣装から解き放たれたかのくのいち殿は、着慣れた打掛姿で大欠伸をかいていた。
「美しく仕上がっていたのに、終わった途端にいつも通りなのは勿体ないね。馬子にも衣装だったのに」
「……緊張して寝付けぬまま早起きだったのです。ほっとしたら一気に眠気が」
「花嫁殿は初夜に私を置いて寝てしまうのかい」
「しょ」
 目を見開いたのち、数瞬遅れて耳まで桃色に染まり、潤んだ瞳が所在なさげに畳に向けられる。つい露骨な言葉を口にしたくなるのは、そんなさまが余りにも可笑しいからだ。
「こんな日の夜に部屋に私を呼びつけておいて『ほっとした』だなんて、兄様は悲しいよ」
 顔の横の髪を一房すくいあげて唇を寄せる。
「も、もう『兄様』ではありません」
「では何かな、桔梗?」
「私は、光秀殿の、妻で」
「ふうん?」
「光秀殿は、私のたったひとり、心より……恋うて、愛する人です」
 尚も顔を背けながら、ほたるはそう囁く。 事実を表す言葉には詰まっておいて、感情はこんなにも甘やかに流れ出す。
「……負けたよ」
 食むような軽い接吻を何度も交わして、きつく閉じたその瞼が開くのを待つ。激しい口付けでもないのに息継ぎを求める唇が愛しい。
 「私もね、君を恋うているよ」