朝を迎える魂魄(遙か2/泰継)
人は夜、眠って心身を休めるのだと言う。休めるべき心を持たず、三月の間眠らない身体は、この都の空白を持て余す。
傍らの灯は頼りなげに体を捩り、膝に乗せた百年前の文字をゆらゆらと照らしている。暗く昏い空白。不完全な体は不完全な闇を彷徨う。
この都は今浄土を求めているのだと聞いた。京は滅びに向かっている。このまま淀む気に身を任せていれば、都は確実に消えゆく運命にある。理に沿わねば全ては歪む。しかしそれは、京という都が確かに存在している証でもある。滅亡は存在なくして有り得ない。
「在る」から「無くなる」のだ。
生きていなければ死ぬことも叶わぬ。
願いがなければ絶望もない。
何かを思い描く眠りから覚め、「気分」というものを新たにするものを「朝」と呼ぶのなら、この庵に「朝」が来ることはない。
私が迎える朝は、ただひとりの少女の存在を確かめ、その仄かな光を浴びに行くためのものである。私が「朝」の終焉を恐れているのは、この夜明けが今ここに存在している証拠だ。
朝という時間に縋って、八葉という概念に縋って、神子という存在に縋って、安倍泰継はここに在る。
消滅する恐怖の上に存在するのが「私」だ。
「……行くか」
――おはようございます、神子様。
泰継殿がいらしていますよ――